■1965〜1972 「週刊少年マガジン」(巻頭ページほかのカラー大図解、特集記事)(大伴昌司氏構成による「図解特集」)
HISTORY WORK-水気隆義
水氣隆義のイラスト・出版関係 01
1965〜1972

・講談社=「週刊少年マガジン」(巻頭ページほかのカラー大図解、特集記事)「ぼくら」「TVマガジン」「ぼくらマガジン」「おともだち」「たのしい幼園」    「ディズニーランド」「なかよし」「週刊少女フレンド」ヤングレディ」「若い女性」「週刊現代」「WOMAN」「学習図書」「百科事典」「児童図書」「服飾センター」「AV研究部」「書籍宣伝部」
・小学館=「小学3年生」「小学4年生」「小学5年生」「小学6年生」「小学館コミックス」「月刊絵本」
・少年画報社=「少年画報」「週刊少年キング」「漫画ボン」「ヤングコミック」
・秋田書店=「週刊少年チャンピオン」「冒険王」「児童図書」「単行本」
・集英社=「少年ブック」
・学研=「中学1年コース」「中学2年コース」「中学3年コース」「大学受験高校3年コース」「知育ホピー」
・旺文社=「中一時代」「百科事典」

・ひかりのくに=「ウルトラマンシリーズ」
・朝日ソノラマ=「怪獣大図鑑」その他
・エルム=「怪獣なぜなぜ図鑑」「怪獣絵ばなし」「かいじゅう学習ずかん」「ガメラ対ギロン」その他
・大映=「大映クラブ」1967年〜1970年代、その他
・エポック社「仮面ライダー・怪人大しゅうげき」毎日放送、東映その他

ペンネーム=「工藤 佳」「水気 淳」

水気隆義のHISTORY WORKサイトをご覧いただき有り難うございます。


長い間、出版-広告業界で仕事をしてまいりました。08年6月「ガイガン」の件であまり公表していなかったウルトラ怪獣関係など急遽このサイトを作成しました。怪獣関係など手許に残っている資料しかありませんが、当時の水気隆義はこんな絵を描いていたのかをみて頂きたく発表いたしました。

水気隆義は当初、出版業界の挿絵画家の一部の大先生には不評で「挿絵のこころがない…到底つかえない」‥?などの批判。しかし企画構成の大伴昌司氏や編集者達には大変好評で「今までにない新しい感覚でデザイン的で構成力があり‥」と絶賛されました。そして講談社をはじめ他の出版社やいろいろな会社から多くの仕事がはいってきました。

■水気隆義は挿絵画家ではありません■

「ガイガン」のデザインの頃は電通でトヨタ、全日空のポスターなどイラストの仕事をしていました。

小学一年生の「たかよし」に絵の基礎を徹底的(軍国主義的に)に叩き込み、そして精神〜根性を鍛えた頼男おじさんそして先輩の玉田信行氏(デザイナー、水彩画家)、岡崎甫雄氏(イラストレーター)、講談社の少年マガジン編集部の岩本文男(副編集長)、内田 勝(編集長)、少年マガジン編集(特集班、記事班)の皆さん、そのほかの編集の皆さんに育てられ…

私が志したコマーシャルの世界を開いてくれた電通の萱場修デレクターに「アメリカのイラストレーション界」を学び…ここまでクリエイテブな絵の世界で孤軍奮闘できたことに、あらためて水気隆義を育てて頂いた皆様に大変 感謝しています。

◆ガイガン-Wihipedia で「初代ガイガンのデザイナーは、かって少年マガジンを中心に挿絵画家として‥‥」と書かれていますが、私は挿絵画家を志してはいませんでした(グラフイックデザインからインダストリアルデザイン「立体」など学んできていましたので‥)。私の先輩で岡崎甫雄氏(イラストレーター)の手伝いをしたことから、講談社に紹介されましたが本来の挿絵はまったくわかりません。学生のころポスターなどでイラストを描いていたので、なんとか通用しました。当時、少年マガジンなどは(大特集巻頭カラーページ)など大きな絵が多く、また(カラー大図解)などは水気隆義のお手のものでした。

「ガイガン」のデザイン(インダストリアルデザインの基本)も分かりやすい図面が出来たので安丸信行氏は造型しやすかったのでしょう。また当時デザインできる作家は水気しかいなかったと編集者の方々が言っています。

ガイガンのデザイン
ガイガン2008
ツクダオリジナル
キデイランド
屋外イベント
全国地方自治宝くじ01
コマーシャルイラストレーション個展
いろんな話・今昔物語
出版社の原稿は沢山ありすぎて‥‥一部ですが‥‥
◆内田 勝 編集長
始めての巻頭ページで下図を編集長に持参したところ「ウ〜ンこのあたりなんとかなんないかな‥‥!もう1枚描いて」そして2時間後下図を描きなおしていくと、まだOKがでません。また描きなおして…それが午前10時頃から午後9時頃まで計12枚描き直しました。その下図をならべて編集長はこれで行こうとOKがでたのは2枚目の下図でした。……
その後こんな経験はあまりありませんでしたが‥‥
プロとしてやるからには凄く大事なことで私を試したのだと後でわかりました。
また構成の助言も沢山教わりました。「ワクないで構成するな!ワク外のことも構成の内だ……!」
こんな調子で2〜3年鍛えられ‥マガジン編集部に原稿を持参したおり、編集長に呼び止められ‥私はドキッとしました「今日時間ある?」それから編集長と2人きりで新宿で飲むことになり……いつもの恐い編集長でない編集長だし…私はなにもしゃべれないし…お店の女性も2〜3人いるし…前の夜は寝ていないし…飲んでも酔えないし…23才のまだヒゲもなかった頃でした。

上の写真は26才頃です。
少年マガジン大図解-01
巻頭3折開き
これも映画館で寝ていました。
原画
巻頭3折開き
原画
巻頭3折開き
巻頭3折開き
少年キングの編集者とサンダーバードの試写会にいきました。
巻頭3折開き
上のノアの箱舟は参考に映画館に行ったのですが、ほとんど寝ていました。
この地底探検を描いているときに世の中は「人類初の月に一歩」で大騒ぎでした。
テレビを見ながら、また明日の朝までの締めきりもわすれ私も感激していました。
上のドリトル先生も映画館にいきました。が、いつものことでまた寝ていました。これではいけないので、もう一度みたのですが、またまた…!
毎日、締めきりに追われ一周間で計5時間の睡眠などあたりまえの生活でした
上記に続きますが、毎日、締めきりに追われ一週間で計5時間の睡眠などあたりまえの生活でした。徹夜々の毎日で編集に原稿を届けたあと階段を降りて出口がないので…気がついたら地下室でした。またその状態で道路を歩いて車が来ても恐くないものなんですね。車がよけていましたよ‥‥1日に締めきりが2〜3こあって、編集の方が何時間もできるまで待機してたり‥よくここまで細かく描いていたものだと自分ながら感心しています。
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