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1965〜1972 「週刊少年マガジン」(カラー大図解)(怪獣ブーム)1971(ガイガンのデザイン)1972(CMイラストレーション個展)
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2009年2月25日「水氣隆義のデザインになる『ガイガン』」東宝公式認定
2009年2月25日、東宝の版権課長より『昨日、会議でガイガンのデザイナーは水氣隆義と認定しましたので 《水氣隆義の原案デザインになる「ガイガン」》として販売してください』と連絡がありました。 大変多くの皆様に賛同して頂き有難うございました。 皆様には厚くお礼申しあげます。 |
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水氣隆義のデザインになる『ガイガン』
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第一回 宇宙怪獣「ガイガン」原案デザインの誕生の経緯(1971年)
〈当時の状況、原案デザインの発想〉 |
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08年の6月に別件でマーミットの社長にお会いした折りに「ガイガンのデザインは私だ」から始まりました。
(東宝と現在交渉中ですが、「水気隆義」の名前が怪獣のブログなどに出回りだしアクセスが異常に多くなりだしたので 急遽、このHPをたちあげることにしました)この「デザインの誕生までの経緯」は東宝に提出した書類の一部です。 (多少、強めに発言しているかと思いますが、東宝に事実説明のための書類ですので‥‥) |
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| ■08年の6月、初めてガレージキットやフィギュアの世界を知り、怪獣「ガイガン」のデザイナーは誰なのか をめぐって、ブログ上あれこれ飛びかっていることを知り驚きました。 そこでは漫画家「水木しげる」の名前も挙がっているようです。また『井口昭彦氏が「ガイガン」の うみの親と 25年間いわれていた事‥‥?』を初めて知り驚きました。 特撮監督の中野昭慶氏は『ガイガンのデザイナーは、講談社の「みずき」と聞いていたので‥‥‥』とのことでした。 当時、講談社には作家として「水木しげる」と「水気隆義」の2人しかいませんでした。 ■ところが、あの「ガイガン」のデザインは、「みずき」違いの「水氣隆義」の手になるものであることを、 ここに初めて公開しお知らせしたいと思います。 |
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| ■宇宙怪獣「ガイガン」のデザインに関し、そのデザインの誕生までの経緯は次のようになります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1、私は1965年ころから、講談社はじめ、小学館、集英社、少年画報社、秋田書店、学研、旺文社、光文社、家の光協会(「こどもの光」)、チャイルド本社、朝日ソノラマ等々の雑誌、書籍にイラストを発表していました。玩具関係ではツクダオリジナル、日東、マルマン、大滝制作所ほかのパッケージなどを手掛け、ツクダオリジナルにおいては30数年間、パッケージや宣伝物の作製に関わってきました。 特に、講談社の「週刊少年マガジン」(大伴昌司氏構成による「図解特集」)や「ぼくら」「TVマガジン」には常連イラストレーターとして毎週のように登場し、数多くの怪獣も描いていました。 当時「週刊少年マガジン」への掲載が圧倒的に多かったために、同誌編集部を通して他社の雑誌ほか玩具会社などが、私の連絡先を紹介してほしいということがしばしばあり、それに応じてイラストを描いていおりました。 2、そのような中で、講談社編集部を通じて「東宝映像」の制作部長・鈴木政雄氏から「ゴジラ映画で使用する新しい『宇宙怪獣』のデザイン」を私に電話で依頼され会ったのが、1971年の2月〜3月ころのことでした。 3、鈴木氏から電話をいただいて数週間後に、「宇宙怪獣」のデザイン画を2案描いて世田谷区成城の東宝撮影所に鈴木氏を訪ねています。 大きな門が印象的で、2階の役者さんの名札がある所を通り、少し広い部屋に案内されました。鈴木氏のほか、中肉中背の30才前後の男性(川北氏)と3人で会合致しました。 |
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| 4、私が描いて持参した2案のうち、1案目は現在よく知られている「宇宙怪獣ガイガン」のデザインであり、怪獣全体の全面像から各部位に至るまで「三角形」を基本デザインとして描いたものです。2案目は、球体型の怪獣で多数の反球体(お椀を天地逆にしたような物体)が全身に付いていているデザインであり、「円形」を基本デザインとして描いたものでした。 どんな生き物もすべて統一された美しい形態を持っているという私のデザイン観から、「宇宙怪獣」もまた各部分、異質物の寄せ集めではなく、統一的なデザインとすることが宇宙怪獣に対する私の基本デザインの考え方でした。 |
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| 5、デザイン化に取掛かった当初は、ゴジラの敵なのでより恐ろおそろしい怪獣に仕上げようと思いました。しかし「ゴジラに負けない統一的な造型のある怪獣としてデザイン出来たらいい」と思い直し、次のようにあれこれ試行錯誤しています。 ・まず、大型の鳥がもつ一種「華やかさ」「シャープさ」をイメージしたものであること、 ・そうでありながら、ある種の愛嬌、親密さなどもほしい、 ・体形からいえば、渡り鳥の「雁」のイメージがよい、 ・首から上は、鷲のもつ「鋭さ」を基本に採り入れたい、 ・手や足も鋭い武器にして大きめにしたい‥‥ といったもので、徐々にイメージが立ち上がっていったのでした。 さらに、さまざまな新しい武器などを付け足していきました。 ・「高速で回転する腹部の鋭い刃」は、キャタピラー式に全体に回転するカッター、(相手の怪獣に抱きついての武器は凄い迫力だろう‥‥) ・目は一眼、(眼球が一個)で左右に動き、夜間でも見える赤外線センサー付き、(眼球が一個で左右におおきく動く映画が出来たら最高‥‥!) ・角(アンテナ機能を持つレーダー)、と後頭部の剣・尻尾の剣・腹部の回転するカッター・手・足、等を同じ「三角形」の造型でデザイン ・目の上の頭長部からの強力放射線を発射‥離れた敵に対しての武器 ・手は大きく(ハンマー型)で、先の方はゆるやかに曲げて、ものを掴める形に‥ ・足の剣も大きく緩やかなラインで、キックで凄い威力‥‥ ・背中の羽根は3枚に、中央の羽根は宇宙など飛ぶときの方向舵 これで全体のイメージデザインが出来てきました。 |
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| そして、統一的な造型のある怪獣として・角・後頭部の剣・尻尾の剣・腹部の回転するカッター・手・足・目・クチバシ・ウロコなども三角形で丸みをつけ、羽根も トゲトゲしくならない緩やかなラインで統一デザインとしました。デザイン画の右側にそれぞれの詳しい説明を6段〜7段ほどにわたって鉛筆で箇条書きにしました。 当時の私は26歳ですが学生のころ(1960年前後)、石原裕次郎出演の映画(1959年「山と谷と雲」)で、ゴーグル型サングラスをかけた“裕ちゃん”が強く脳裡に焼き付けられていたことから、新怪獣の目にはあの「ゴーグル型サングラス」のイメージをアレンジしたデザインにしました。(1960年当時サングラスの1枚ものを初めてみたもので‥‥)デザイナーはたわいない物からヒントを得てデザインするものです。 また、このようなデザイン・イメージを煮詰めていくと、その怪獣に対して私なりに名前を付けたくなるのが人情です。 そこで新怪獣の名前も、“裕ちゃん”の「ナイスガイ」からくる「ガイ」と、渡り鳥の「ガン」を組み合せて、「ガイガン」と命名したのでした。(これはデザイン制作の過程で私の勝手で命名しただけで、この「宇宙怪獣」が採用されるかどうかも分からないし‥‥映画になってポスターを見て初めて採用されたのが分った次第です) これで「ゴジラに負けないナイスガイの「ガイガン」が完成したのです。 以上、デザイン制作のおおまかな過程です。 鈴木政雄氏には私のデザインの考え方から、各部分の詳しい説明をしています。 デザイン画は正面図(正面(手前)からの投影図)、右側面図(右側からの投影図)、 背面図(裏側からの投影図)、そして各部分の説明図をB3 (36.4ミリ×51.5ミリ)のパットン紙に鉛筆とペンで各部分を細密にわたって描き、マーカーで色を付け、デザイン画の右側にそれぞれの詳しい説明を6段〜7段ほどに鉛筆で箇条書きにしています. 鈴木政雄氏は1案目の「宇宙怪獣」の方を高く評価をして頂きました。2案目の「宇宙怪獣」のデザインについては、「ちょっと難しいな‥」と言われました。そして「一応会議にかけてみましょう。決まったら連絡します」ということになりました。 |
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| 当時 東宝、大映、東映、日活、松竹など競争が激しく、それぞれのスターで争っている時代でした。そこで東宝の鈴木政雄氏に「ガイガン」の意味を聞かれた時、日活の“裕ちゃん”とは言えませんでした。『外敵なので「ガイガン」‥』と言ってしまいました。この事はいまだに鮮明に記憶しています。現在なら平気で言えるのですが、当時は各映画会社が怪獣映画でも大変 競っていた時代でした。 また東宝からは、鈴木政雄氏は「ゴジラ映画で使用する新しい『宇宙怪獣』のデザインをお願いしたい」と依頼されただけで、なんの要望や指図など一切受けていません。私の自由な発想から生まれた宇宙怪獣「ガイガン」です。まだ私しか判らない事で発表していない事が沢山あります。ご期待ください。 現在、私の手許には原画が残っていないため、東宝の関係者に探していただいて いるところです。 昨年の6月には鈴木政雄氏は東宝にいると聞いています。(鈴木政雄氏がご健在とのことで私は安心し、37年ぶりにお会いできるのを楽しみにしていました) そこで、ガレージキットの方から「ガイガンをデザインした本人に、絵を描いてほしい」と依頼があったため、東宝がOKなら私としてはなんの異存もなく描くことにしました。それが2008「ガイガン」のイラストです。 |
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| 6、 映画になってポスターの「ガイガン」の姿を見て、私の考え方や平面デザインそのままを、ものの見事に造型化なされた方に大変感謝し、大きな満足を覚えていました。 7 、 最近、「ガイガン」を造型された方(知人の紹介)がわかりました、造型作家は安丸信行氏で、安丸氏とは電話で親しくお話をうかがうことができました。その中で当時のデザインの制作過程の事などの話をしています。安丸氏は「二ヵ月ほどデザイン画を参考に見ながら制作したので、よく覚えています。デザイン画はあなたの言われる通りで、絵の右側に各部の説明もありました。またデザイン画の印象から、従来の東宝映画の怪獣のキャラクターに比べて全くニュータイプの怪獣が生まれるだろうとの印象を受けたことを記憶していま す。デザインの基本がしっかりしているので制作しやすかった」という主旨の話をされ、デザイン画は大切に扱いすべて東宝に返したといわれていました。 安丸氏はさらに、そのデザイン画がなければ現在の「ガイガン」の形は出来なかったこと、そのデザイン画に忠実にあたられたと話されていました。 たしかに私のデザイン画に何かが新しく加えられた形跡も一切なく(たとえば、怪獣の体の一部が変更されているなどなく)、安丸氏には全体のイメージから、小さな部分のディテールに至るまで完璧に表現していただいているのでした。 以上が、宇宙怪獣「ガイガン」にまつわるデザインの誕生までの経緯です。 多少昨年と今年のことはおおまかに発表していますが… |
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| MICBOX 水 氣 隆 義/TAKAYOSHI MIZUKI 東京都江東区東雲1-9-12-606 E-mail:art@micbox.com |
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| ◆この件について、ご感想、ご質問、ご意見などありましたら【「ガイガン」ゲストブック】ヘ宜しくお願いいたします。 まだまだ書き足らないことが沢山ありますので徐々にお話ができればと思います。 |
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| ■ ガイガンのデザイン当時の作品で「週刊少年マガジン」巻頭特集カラー大図解の水氣隆義の原画を複製画(ジクレー版画)にして「お知らせ情報-BBS」で発表しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ■「フィギュア王 ・ NO135」4月25日発売で紹介されました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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水気隆義のHISTORY WORKサイトをご覧いただき有り難うございます。
長い間、出版-広告業界で仕事をしてまいりました。08年6月「ガイガン」の件であまり公表していなかった ウルトラ怪獣関係など急遽このサイトを作成しました。 怪獣関係など手許に残っている資料しかありませんが、当時の水気隆義はこんな絵を描いていたのかを みて頂きたく発表いたしました。 水気隆義は当初、出版業界の挿絵画家の一部の大先生には不評で「挿絵のこころがない…到底つかえない」‥?などの批判。 しかし企画構成の大伴昌司氏や編集者達には大変好評で「今までにない新しい感覚でデザイン的で構成力があり‥」 と絶賛されました。そして講談社をはじめ他の出版社やいろいろな会社から多くの仕事がはいってきました。 ■水気隆義は挿絵画家ではありません■ 「ガイガン」のデザインの頃は電通でトヨタ、全日空のポスターなどイラストの仕事をしていました。 小学一年生の「たかよし」に絵の基礎を徹底的(軍国主義的に)に叩き込み、そして精神〜根性を鍛えた頼男おじさん そして先輩の玉田信行氏(デザイナー、水彩画家)、岡崎甫雄氏(イラストレーター)、 講談社の少年マガジン編集部の岩本文男(副編集長)、内田 勝(編集長)、 少年マガジン編集(特集班、記事班)の皆さん、そのほかの編集の皆さんに育てられ… 私が志したコマーシャルの世界を開いてくれた電通の萱場修デイレクターに「アメリカのイラストレーション界」を学び… ここまでクリエイテブな絵の世界で孤軍奮闘できたことに、あらためて水気隆義を育てて頂いた皆様に大変 感謝しています。 |
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| ◆ガイガン-Wihipedia で「初代ガイガンのデザイナーは、かって少年マガジンを中心に挿絵画家として‥‥」と書かれていますが、私は挿絵画家を志してはいませんでした(グラフイックデザインからインダストリアルデザイン「立体」など学んできていましたので‥)。私の先輩で岡崎甫雄氏(イラストレーター)の手伝いをしたことから、講談社に紹介されましたが本来の挿絵はまったくわかりません。学生のころポスターなどでイラストを描いていたので、なんとか通用しました。当時、少年マガジンなどは(大特集巻頭カラーページ)など大きな絵が多く、また(カラー大図解)などは水気隆義のお手のものでした。 「ガイガン」のデザイン(インダストリアルデザインの基本)も分かりやすいデザイン画は正面図(正面(手前)からの投影図)、右側面図(右側からの投影図)、 背面図(裏側からの投影図)、そして各部分の説明図をB3 (36.4ミリ×51.5ミリ)のパットン紙に鉛筆とペンで各部分を細密にわたって描き、マーカーで色を付け、デザイン画の右側にそれぞれの詳しい説明を6段〜7段ほどに鉛筆で箇条書きにしています。細部まで描き込んでいるので安丸信行氏は造型しやすかったのでしょう。また当時デザインできる作家は水気しかいなかったと編集者の方々が今も言っています。 |
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コマーシャル イラストレーション個展
協力 萱場 修(電通)、手束 晃(デザイナ−)、稲田 浩男(カメラマン)、山田 清(アシスト) |
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仕事の作品とオリジナルで50枚前後の作品を展示
《推薦のことば》 (1972年) |
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萱場 修 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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20代をシカゴのA・R・IでUAL担当のグラフィックデザイナーとして勤務、
帰国後電通東京本社のクリエイテブ・ディレクターとしてトヨタのトータル・クリエイテブ作業に従事、 その後「みなとみらい21」のプロジェクト立ち上げに参画するために 国際デザイン・コンサルトとして独立。 |
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| ■萱場 修クリエイテブ・デイレクター 萱場氏は「イラストレーターとは最低5種類以上の絵を描き分けなければいけない。イラストレーターはクライアントの要望を満たす役目があるので、これしか描けないではイラストレーターとして通用しないしイラストレーターではない。 1種類しか描けないでよいのはアーティストだ。アメリカのイラストレーターは‥‥」 と常に言われていました。
この個展も子供〜大人〜老人、女性、男性、メカニック、イメージイラスト、ファンタジー、スポーツ、ファッション、時代物‥‥その他 幅広くテーマを与えられ、・紙・布(コットン・キャンバス・エナメル…)・皮・ガラス・ベニヤ・木板・ステンレス‥‥等に描いた作品、そしてB全の大きさが沢山ほしいし50枚以上1年で描く事を要望されました。 |
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| ヤ萱場 修 氏 今年09年の年賀状です「ガイガン」はシカゴで観たそうです。 このところ逢っていませんでしたが、あまりにも変わらず若々しく‥‥ここ数年SLの運転にはまって楽しんでいるようです。 私に「くれぐれも健康に、ご留意ください」と書かれていました。が、当時1週間 〜2週間 徹夜々の連続で手束 晃(デザイナ−)さんといつも悲鳴をあげていました。手束さんの話しでは「萱場さんの仕事はハードすぎて逃げ出す人が沢山いた」と聞いていまた。萱場氏は「プロだからあたりまえだろう」で終わりでした。 後で聞いたことですが内のアシスタントの島田庚太郎(多摩美〜共同印刷デレクター〜MIC)に多摩美大のなにかの会で萱場氏は「水気くんはズバぬけた体力の持ち主でネ‥‥!」などと言っていたそうです。 萱場さんの言うとうりで今だに平気で徹夜などしています。プロですから‥‥!(でも2日はとても‥それどころか次ぎの日は1日中 仕事にてがつきません‥‥!やはり健康に気をつけましょう‥) |
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2009-1月 萱場 修 氏 |
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| 水氣隆義のイラスト掲載誌および仕事関係先 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ■1965年〜1972年ころの各社掲載雑誌・図鑑等■ ◆講談社=「週刊少年マガジン」(巻頭ページほかのカラー大図解、特集記事)「ぼくら」「TVマガジン」「ぼくらマガジン」「おともだち」「たのしい幼稚園」ディズニーランド」「なかよし」「週刊少女フレンド」ヤングレディ」「若い女性」「週刊現代」「WOMAN」「学習図書」「百科事典」「児童図書」「服飾センター」「AV研究部」「書籍宣伝部」 ◆小学館=「小学3年生」「小学4年生」「小学5年生」「小学6年生」「小学館コミックス」「月刊絵本」 ◆少年画報社=「少年画報」「週刊少年キング」「漫画ボン」「ヤングコミック」 ◆秋田書店=「週刊少年チャンピオン」「冒険王」「児童図書」「単行本」 ◆集英社=「少年ブック」 ◆学研=「中学1年コース」「中学2年コース」「中学3年コース」「大学受験高校3年コース」「知育ホピー」 ◆旺文社=「中一時代」「百科事典」 ◆TBSビデオ・サービス・プロ=ソノシートつき怪獣絵本のほとんどを担当 ◆ひかりのくに=「ウルトラマンシリーズ」 ◆朝日ソノラマ=「怪獣大図鑑」その他 ◆エルム=「怪獣なぜなぜ図鑑」「怪獣絵ばなし」「かいじゅう学習ずかん」「ガメラ対ギロン」その他 ◆大映=「大映クラブ」1967年〜1970年代、その他 ◆エポック社「仮面ライダー・怪人大しゅうげき」毎日放送、東映その他 ■1965年〜2008年・出版関係■ ■1968年〜2008年・企業関系■ |
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